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川崎競馬対談シリーズ (第11回、ゲスト:中川明美さん)

競馬をこよなく愛し各界で活躍されている方々に、川崎競馬副管理者との対談を通じて川崎競馬への期待やご意見を伺う機会を設けています。

第11回は「中川明美」さんにお話を伺います。

[2014年1月31日 於 川崎競馬場]

川崎競馬対談シリーズ (第11回、ゲスト:中川明美さん)

中川明美さんのプロフィール

競馬ブック南関東担当記者。新聞紙面にてコラム「南関こんしぇるじゅ」、週刊競馬ブック「NANKAN通信」、競馬ブックログで「南関あらうんど」などを執筆。また、川崎競馬倶楽部の運営スタッフの一員として、長らく競馬ファンの視点から、川崎競馬のさまざまなイベント等で中心的な活躍をなされている。


競馬との出会い、きっかけ
川﨑: 今日は川崎競馬1月開催の最終日ということで、たいへんお疲れのことと思いますが、専門紙記者の中川明美さんをお迎えしてお話を伺ってまいります。まず、競馬との出会い、きっかけについてお伺いします。
中川: アルバイト先で競馬好きな方たちに競馬場へ連れて行ってもらったのがきっかけでした。馬券が当たって喜んでいるというような、ごく自然な入り方でしたね。
川﨑: 活躍した競走馬でいうと、どのあたりですか?
中川: のめり込んだのはオグリキャップが笠松競馬場で走っていて、その後、同馬が中央に出て来て競馬ブームが到来する頃でしたね。その後、競馬のことをもっと知りたいと思うようになって、気が付いてみると競馬の会社に入社していました。(笑)
川﨑: 若い女性が競馬を楽しんでいると言っても、当時は、それを職業にするなんてことは珍しかったのだと思いますが?
中川: 初めは川崎競馬で行われていたイベントに参加して、その中で騎手や調教師の方たちとも言葉を交わすようになり、次第に競馬場に足繁く通うようになりました。そうしたことが続くようになり、「それならもっと競馬の近いところで生きて行こう」と思い、専門紙の記者を目指したのです。川崎競馬倶楽部もその頃から関わるようになりました。
川﨑: ご家族やご親戚に、競馬が好きな方はいらっしゃたのですか?
中川: 昨年、父が亡くなり親戚が集まった折、祖父が中山競馬場の近くで生活をしていたと耳にしました。馬に関わる仕事に就いていた事もあったようです。
川﨑: 競馬とはご縁があったのですね。では、ご家族は競馬のことは割合すんなりと受け入れて下さったのですね?
中川: いやぁ、両親の反対はありましたよ!
川﨑: どうやって説得されたんですか?
中川: 聞き入れられなくて、最後は家出をしました!
川﨑: 家出・・・。
中川: 自分は「こう思ったら真っすぐに突き進む」タイプなので。大変でしたけど、今では、家族も応援をしてくれています。(笑)
競馬専門記者をやって良かったこと、苦労したこと
川﨑: ご苦労も多かったと思いますけど、競馬に関わるようになって良かったと思えるようなところは何ですか?
中川: とにかく女性が少ないということで、最初は女性だからという理由だけで取材の制限を受けるようなこともありましたね。こちらが真面目に質問しても茶化されてしまうようなこともあったり。

川﨑: 川崎競馬場は如何でしたか?
中川: 川崎だけでなく、地方競馬そのものが「鉄火場」という雰囲気でしたね。厩舎の方々も女性からの取材慣れされていない感じでした。
川﨑: 悔しい思いもあったんですね?
中川: 以前は、厩舎内に女性が入ること自体を嫌がる関係者もいらっしゃったんです。中には私という人間をよく理解してくれる方もいましたけど、「ごめん、ここまで」と言われた時の寂しさや、乗り越えられない壁というものを強く感じました。
川﨑: まさに女性競馬専門記者としての先駆者の心境ですね。
中川: 入社した「ホースニュース」では大井競馬担当のトラックマンとして現場に出ました。ファンに向けた地方競馬の話題が乏しい時代で、自分なりに何ができるか考えました。
川﨑: 当時、他に活躍されていた女性はいらっしゃったのですか?
中川: 中央で何人かいらっしゃいました。私も競馬ブームに乗って、いろいろ寄稿させていただきました。
川﨑: 寄稿されたのは、どのような内容だったのですか?
中川: 武井榮一調教師が連対率7割を超えていたことについて、「競馬最強の法則」という雑誌に書いてみないかと出稿したのがライターデビューでした。平成3年の頃です。
川﨑: 良かったことは如何でしょうか?
中川: 取材するうちに、「こんなことがあったんだぁ~」「○○は、こんな人なんだ!」と意外な事実に触れるようになったことと、こうしたことを私がパイプ役として、ファンの方にきちんと伝え切れた時が最高の喜びてですね。
川﨑: 後輩の女性記者に対するアドバイスは何かありますか?
中川: 今の方は勉強熱心な方が多く、逆に刺激を受けています。私は「運とハッタリ」で乗り切っているので。(笑)
川﨑: 中川さんが執筆されている文章を拝読しておりますと、とにかく現地取材をマメに行い、とても分かりやすい表現を使いながら筆を進めておられると、いつも関心をしています。
中川: 有難うございます。机上で文章を書くのが得意な方もいらっしゃると思いますが、見たもの触れたものを文章にするというのが、私のスタイルなので。
思い出の競走馬
川﨑: さて、思い出に残るような競走馬にはどのような馬がいるんですか?
中川: 中央と地方が交流した最初の頃に活躍したホクトベガの印象が強烈です!
川﨑: 私は資料の中でしか分かりませんが、とにかく凄い馬だったようですね。
中川: 激しく巻き上げる雨の不良馬場にも関わらず、2着に18馬身と大差をつけ、一頭だけ異次元の走りをしていましたのが忘れられません!
川﨑: 1995年(平成7年)のエンプレス杯ですね。地方馬では如何ですか?
中川: ドルフィンボーイ(当時、佐々木國広厩舎)です。当時の池田厩務員(現、調教師)が調教を付けていたんですが、物凄いクセ馬で何人もの厩務員さんを怪我させていた馬だと聞いていたのでとても興味がありました。
川﨑: 騎手は山崎尋美騎手(現、調教師)でしたね。
中川: 3歳クラシックでは、羽田盃と東京ダービーでは着外に終わってしまったんですけど、その後、戸塚記念と東京王冠賞を制覇し、続く東京大賞典でも見事逃げ切って勝ったのがとても頭の中に焼き付いています。こうしたクセ馬をホースマンたちが苦労しながら改造していき、そして結果を残すのを間近で見ていると、これが競馬の魅力なんだと思います。
2012年(平成24年)11月第12回川崎JBC競走当日に刊行された冊子
2012年(平成24年)11月
第12回川崎JBC競走当日に刊行された冊子
川﨑: 一頭一頭に歴史がありますものね。
中川: そうしたドラマを伝えるのが、私の役割なのかなと思います。
川﨑: 馬に関わっている人たちに聞くと、「持ち馬には是非、勝って欲しいけど、例え負けたとしても愛情に変わりはない」と、よく耳にします。次に、騎手は如何ですか?
中川: 騎手は馬の場合と違って、人として見てしまう癖がついているので、その結果、中立であるべきとの思いがいつも支配しているんですよ。
川﨑: どの方であっても取材が出来るよう、公平な立場で居たいと言うことでしょうか?
中川: そうですね。騎手を考えるときは、「この馬にはこの騎手が合っている」というような思考の仕方をしています。
川崎競馬の魅力
川﨑: 中川さんは長らく川崎競馬とは関わりを持っていただいているんですけど、一言で言うと、川崎の魅力はどこにあるのでしょうか?
中川: 小向にあるトレセンが狭く国から毎年借りなければならないなど、川崎は南関東4場のなかでも施設的には一番恵まれていない競馬場だなぁと思います。でも、そうした環境にめげず、それを何とか乗り越えようとする団結力の強さを感じます。
川﨑: 競馬場全体でハンデを克服しているイメージですね?
中川: そうです!それも、いろいろと試行錯誤しながら、まとまって対処していこうと言う気持ちが伝わってきます。
川﨑: 競馬に限らず地元の行事にも協力し合っていますしね。
中川: 川崎競馬ならではの厩舎の行事もありますよね。秋には近所の方たちを招いて盛大に「馬頭観音祭」をやりますし、毎年2月には「初午の日」や「出初め式」が催されますし・・・。
川﨑: そうしたつながりを見て、つながりの強さを感じると言うことですね?
中川: イベント当日はもちろんですが、準備の段階から調教師や騎手の方たちも一緒に会議に関わっていて、皆が同じ方向を向いて前に進む、これこそが川崎ならではの大きな特徴だと思いますね。
川﨑: そうしたイベントも、単発ではなくずっと続いていますものね。
中川: 3月に予定されている競馬ランや隣接する大型商業施設の完成も大変楽しみです。いろいろな企業や団体と連携されて、これからの新しい地方競馬の姿を、川崎競馬から発信されていくことを大いに注目しています。
川崎競馬場への期待
川﨑: 川崎競馬で取り組んでいけば良いのに、ということでは何かありますか?
中川: 是非、3回目のJBC競走に、名乗りを上げて欲しいですね。
川﨑: 実は毎回、立候補しているんですよ!
中川: 本当ですか?
川﨑: 交流馬房や装鞍所、下見所、特別観覧席をせっかく整備したんですから、バンバン使っていかないともったいなくて・・・。
中川: 迎える体制は出来ているということですね?
川﨑: そうです! でも、JBCは持ち回りですから、毎年、続けて行くことは叶いません。だから、それまでは地方交流やJRAとの交流を増やしていこうと考えています。

中川: 実はもう一つお願いがあります。レース日程を何とか工夫できないのかなと思います。例えば、今年の川崎記念ではJRAの東海ステークスと根岸ステークスに挟まれて、どちらも有力馬が分散してしまい、しかも川崎記念では地元馬が一頭しか出走しないというような状況になっていますよね。これは何とか真剣に改善していかないと・・・。
川﨑: おっしゃる通りです。本来であれば、東京大賞典、川崎記念、フェブラリーステークス、ドバイというGⅠの中距離路線の体系が出来上がっていますし、GⅡの東海SやGⅢの根岸Sと違う、GⅠレースの権威もありますからね。
中川: 最近、川崎の重賞に川崎所属の馬が出てくるレースが、とても少なくなってしまいましたよね?
川﨑: 全日本二歳優駿やスパーキングレディーカップでも川崎勢の出走が叶いませんでした。馬だけじゃなく、最近では川崎競馬所属騎手が一人も乗れないレースがあり、主催者としてはとても辛い思いをしています。
中川: 主催者サイドとしては、川崎記念はどのように捉えているのでしょうか?
川﨑: 数少ないGⅠレースで、現存する地方競馬では全日本二歳優駿に次いで、歴史のあるレースですし、川崎勢で優勝を狙えるようになればと思っています。そのためには、2歳のレースから生え抜きの馬が出て来て、頂点としての川崎記念を目指していけるような形で、きちんとした競走体系が出来上がれば良いなと努めています。
中川: そのための方法として、本馬場調教の充実が考えられてくるのではないでしょうか?
川﨑: 調教師サイドからも、現在の開催4日前の本馬場調教から、もう少し拡大して欲しいと要望が出ていることは承知しています。ただ、走路のメンテナンスやハロー駆け、砂の補充などを考えると、現状の日程が一杯です。このたび、プレイアンドリアル号が重賞挑戦を理由に、いわば特例対応をしました。これは従来に比べれば本馬場調教の拡大を意味するわけですから、今後、同じように重賞を挑戦する馬が出てくれば、同様な扱いになるわけです。
中川: 現在有るものを最大限に活用することを考えて欲しいですよね。でないと、理念や掛け声だけでは、馬づくりにはつながっては行きませんから・・。
川﨑: 他地区に比べても、川崎の優位性、あるいは有為性がありますから、これをいかに最大限、生かして行くのかということだと思いますが、トレセンが離れていることで輸送や警備にかなりの負担がかかっているのも事実なんですよね。
川崎競馬への提案
川﨑: 他に気が付いたことはありますか?
中川: 川崎競馬は小回りが効いて、本当に少ない職員で回っているなぁと思いますね。アイデアが出れば、直ぐに実行され、しかも一人が何役でも仕事をなされていますよね。指令系統がとてもスッキリしている感じです。
川﨑: 職員から出てきた提案の中で、「これは競馬にとって良いものだ」と思えば、時間をおかずに、まずは取り組む姿勢を鮮明にしていきたいと思いますし、仮に出来ないのであれば、障害となる要因を明らかにして、どうやったら障害を取り除けるのか、そして、いつになったら実現するのかなどを見極めることが必要なことと考えています。
中川: 以前、川﨑副管理者から「競馬組合では人が財産だ」と言われていたのを思い出します。少ない人数の中でも、研修の機会を優先していることは、他の主催者にとってもよい刺激ですよね。
川﨑: 悩ましいのは、漸く育ってきた人材を2~3年程度で県や市に戻ってもらわなければならないことです。そのため、こうしたネックを少しでも解消するため、例えば、構成団体で庁内公募をお願いして、やる気のある職員を競馬組合に来ていただくとか、本人の了解が取れれば派遣期間を少し延長して4年、5年と競馬馬勤務が出来るように配慮していただけるよう取り組んできました。
中川: 競馬を知っているか知らないかは、厩舎関係者との間の調整する上でも、かなり大きな要素ですよね。
川﨑: 厩舎関係者は売上や賞金水準に左右されますけど、組合職員の給与が条例で決まっていることもあり、売上に直接連動していません。こうしたことが、結果として業務を遂行していく上で、意識の違いとなって現れることは否めないと思います。
中川: そうした意味でも以前から、プロパー職員の育成と言う考えが有るのではないでしょうか。平成12年に公営事業所から競馬組合に変わった時、これからは県庁の方ではなく、競馬専門の職員が担当するのだと理解していましたが?
川﨑: 全国的には、プロパー職員を採用しているところもあれば、当組合と同じように総ての職員を構成団体からの派遣職員でまかなっているところもあります。また、金沢競馬場や帯広競馬場(ばんえい)みたいに、県や市が直営しているところあります。南関でも同じ体制ではありません。各場の話を伺うと、一長一短ありますので、ご指摘の点は、引き続き制度研究していく必要があると感じています。
中川: 傍から見ていると、この問題は永遠の課題なのかなぁと思いますけど、とにかく「引き継ぎ」をしっかりやって頂ければ安心です。例えば、競馬倶楽部の運営に対して、担当する職員によって方針が変わってしまい、「もっとやりなさい」と言う人もいれば、「あれやっちゃいかん」「これは駄目だ」という人もいました。
川﨑: 何事も計画性をもって臨むと言うことが大事なことだろうと思いますね。担当職員の主観的な裁量で場当たり的に指示するのは論外ですが、その多くは各年度の事業方針に基づいて行動しているところもあり、必ずしも毎年度、同じように進むと言うこともありませんので、変化の変化に対して皆さん方に正しく組合の意図が伝わっていなかったとしたら、もっと丁寧な説明を心掛ける必要がありますね。
川崎競馬倶楽部のこと
川﨑: 川崎競馬倶楽部に関して、運営スタッフの一人として何かコメントを頂けますか?
中川: ひとりひとりが川崎競馬を愛していて、みんなボランティアでやっているんですね。私にとって大切にしていきたい仲間たちです。私も記者としての経験を生かして、少しでも活動に寄与できればなと感じています。
2010年(平成22年)12月に行われた「川崎競馬倶楽部盃グッドラック特別」の表彰式
2010年(平成22年)12月に行われた
「川崎競馬倶楽部盃グッドラック特別」の表彰式
川﨑: 競馬倶楽部を通じ、川崎競馬に関する様々な情報を発信していただいており、この場をお借りして、改めて主催者としても感謝を申し上げる次第です。
中川: これからもファンの目線で動ければと思います。
座右の銘
川﨑: 話も尽きないのですが、対談している方全員にお聞きしているのですが、中川さんの「座右の銘」を教えていただけますでしょうか?
中川: 「今、この瞬間を楽しむ」と言うことです。
川﨑: どのような含みがあるのですか?
中川: 例えば、こうしたインタビューでも凄く緊張しながらお話しをしているのですけど、「楽しんじゃえよ!」と自分のことを客観的に見ることで、随分と楽になりますし、本当に楽しんでくるようになるんです。
川﨑: ご自身に言い聞かせることで、セルフコントロールするのですね。他は如何ですか?
中川: 楽しむためには「種をまかなければ花は咲かない」ということも大事にしている言葉です。自分でまいた種が花を開くことで喜びも大きくなるんです。
川﨑: 大事な言葉ですね。
中川: 「花が咲くまで」と思えば、我慢も出来るようになります。
川﨑: お話しを伺っていると、二つの座右の銘とも共通するところは、中川さんはとてもポジティブに、ものごとを考えて行動されていらっしゃる、ということですね。
今後の目標
川﨑: そうした視点を持っていらっしゃる中川さんからご覧になって、今後の川崎競馬、あるいは地方競馬について、どのような点を重点的に取り組んでいったらよいとお考えでしょうか?
中川: 小回りの良さは大事にして欲しいと思います。また、大型商業施設が完成すると、新しいファンの来場が予想されていますから、私も何かお手伝いをすることが出来ればと思います。
川﨑: 中川さんのキャリアを生かせるような形ができると良いですね。
中川: 初心者、中級者、ベテランといった、いろいろなファンに合った競馬の楽しみの伝え方があると思うのですけど、漸く自分がそうした役割を果たす時期に近付いてきたのかなと感じています。
川﨑: 次に、ご自身の目標を聞かせて下さい。
中川: 記者としても競馬倶楽部としても、既に20年以上、関わって来ていま。「これからはどのようにして、これまで関わってきたことを残していけるのか」が、私の目標でもあり、課題でもありますね。
川﨑: 具体的には何かあるのですか?
中川: 例えば、一昨年のJBCで「川崎競馬~伝えたい記憶、残したい記録~」を作製しましたが、是非、ホームページでいつでも、誰にでも見られるようにしたいなと思っています。
川﨑: バージョンアップしていくのですか?
中川: 競馬倶楽部は最新の情報を求め、私は、記録として残して行く形で棲み分けをしていけるよう考えています。
ファンへのメッセージ
川﨑: 最後に競馬ファンへのメッセージをお願いします。
中川: 地方競馬と中央競馬の競馬界全体の盛り上がりのなかで、川崎競馬も盛り上がっていけるよう、微力ながら出来ることは何でもしたいと考えていますので、よろしくお願いします。
中川明美

(了)

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