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川崎競馬対談シリーズ(第5回)

競馬をこよなく愛し各界で活躍されている方々に、川崎競馬副管理者との対談を通じて川崎競馬への期待やご意見を伺う機会を設けています。

第5回は、日本経済新聞編集局運動部記者で、競馬評論家の野元賢一(のもとけんいち)さんです。東京都出身の49歳。東京大学法学部卒業後、毎日新聞社に入社、その後同社長野支局勤務を経て、1996年(平成8年)日本経済新聞社に移籍し、現在に至る。ラジオの解説やウェブサイトでの論評、競馬雑誌でも随時、所感を掲載しています。また、川崎競馬では有識者会議のメンバーの一人でもいらっしゃいます。

著書に「競馬よ!夢とロマンを取り戻せ」(2005年 ISBN:978-4532165222)。

(2013年8月)



地方競馬の現状認識に対する思い
川﨑: 今回は経済専門紙の記者でありながら競馬評論家としても大活躍中の野元賢一さんにいろいろとお話しを伺ってまいります。
まず、いきなり聞くには重たいお尋ねですが、地方競馬を取り巻く現状について、野元さんご自身はどのように受け止めていらっしゃいますか?
野元: 言い古されたことですけど、厳しい環境だなぁと。1991年(平成3年)に1兆円あった売上が3分の1近くまで落ち込んでしまっていますよね。表向きの数字もさることながら、収益というベースでは相当傷んでいるというのが実感です。
川﨑: その要因はどのように捉えていますか。
野元: 馬資源の問題が大きいと思います。ダート競走でもJRAと地方馬では勝負にならないレースが増えて来ています。そうしたレースの質に対する競馬ファンの厳しい見方が現れているのかも知れません。
川﨑: 強い馬づくりという点では、時間をかけて作り上げて行かなくてはならないと思っていますが、打開策に向けてのアドバイスがあればお願いします。
野元: 例えば、川崎が取り組んだJRAとの相互発売、しかも、共同トータ開発前に決断したこと、他の主催者と一緒になって動いたのではなく、地方でJRAを売っていくというリスクを敢えて決断し、思い切って踏み出したことが良い結果に結びついていると思います。地方が置かれている先行き不透明な経営状況のなかでの選択は間違っていなかったと思います。
川﨑: WINS川崎としてスタートするにあたり、競馬組合内部でも賛成・反対はありました。「JRAに庇(ひさし)を貸して母屋を取られるのではないか」「JRAが質の高いレースを行い、全国展開しているなかで、地方の魅力がますます削がれるのではないか」といった慎重な意見がありました。しかし、川崎は平日にナイター競馬をやっているので、土日主体で昼間開催のJRAとは十分棲み分けが出来ると考え、共存共栄を目指して決断したものです。
野元: 母屋を取られるかどうかは、JRAを売る側のポテンシャルにも関わってくるのではないでしょうか。例えば、高知の場合、売り上げは地方でも下の方に属しますが、近くにJRAの事業所がないといった地の利を生かして敢えて競合開催に取り組んでいます。浦和も川崎から遅れること僅か二ヶ月で、共同トータ導入前にJRA発売に踏み切った競馬場ですが、やはり上手くいっています。その一方で、南関は大井や川崎では高い賞金のレースを持っているので、JRAを売るということは、当然、それなりの潜在的な力があったということでしょう。いずれの例も前向きな取組みをすることによって、将来も少し見えてきたのかなと認識しています。
困難な現状を打開する処方箋
川﨑: JRAとの連携でお話しを頂きましたが、そのほか、厳しい地方競馬の現状を打開する処方箋についてどのように考えておられますか?
野元: 即効薬はないのだと思います。私は地方競馬の存在意義が地方財政への貢献にあると思っています。一競馬関係者として、こう言い切るのは気が進まないですが、現状では仕方ない。浦和競馬がここ3年間、自治体への繰り出しを行っています。繰出金はそもそも制度に位置づけられた話なので、当然と言えば当然なのですが、それがニュースになるくらい厳しいのが現状です。川崎競馬に限って言うと、近々、累積損失の解消も見えてきたと伺っておりますので、ここでしっかり体力をつけて、その上で何をターゲットにして投資をして行くのかという目標を持った取組が必要ですね。
川﨑: そこが一番大事なところだと認識しています。
野元: 本音ベースではやりたいことは幾らでもあるのでしょう。賞金をもっと高くしたいとか、調教施設のグレードを上げたいとか、あるいはファンサービスの充実を図りたいとか。では何から手を付けて行けばよいかというと、やはりナイターがキーワードになるのではないかと思います。その上で、大井競馬と違う特色をどのように出して行くのかが大きな鍵になるかと思います。
川﨑: 只今のご指摘は長年の懸案事項の一つでもあります。多摩川を挟んでナイター競馬場という類似性を持つ一方で、大井との差別化がなければ自然と地盤沈下が避けられないものと認識しています。
野元: そのような意味で言うと、3号スタンド跡地の商業施設が大きなポイントになるかと思います。これは実際、どのような形で競馬場と関わってくるのですか、いろんな経過があったのだと思いますが。
3号スタンドと大型商業施設
川﨑: 3号スタンドは老朽化が著しく耐震性の問題もありましたので、かねてより跡地の利活用については、よみうりランドさんからも幾つか提案を頂いておりましたが、周辺の土地開発に関わる規制などもあって、なかなか実現にまで至りませんでした。こうしたなか、先の港町駅改修と併せて、駅前の「タワーマンション」3棟、約1,400戸という大規模なマンション計画があり、この近辺での消費需要が高まってきたという状況も踏まえ、今般、東急不動産さんが名乗りを上げられたものだと受け止めております。
野元: 大型商業施設の規模や整備計画はどのようになっているのですか。
川﨑: 記者発表などによれば、階高は地上5階建てで店舗は1~3階で、テナント数10~20店舗、4階以上が駐車場と伺っています。完成は2年後の平成27年夏頃の開業予定です。
野元: 川崎競馬の開催日数を考えると、年間60日程度、1月で平均5~6日程度です。場外やJRA発売をしているとは言っても、馬場をはじめ多くの土地や建物が活用されていないわけです。不動産の利活用という点からも、なかなか注目すべき計画だと思います。それに、日常生活の一端を担うショッピングセンターと競馬場が隣接しているということは、これまでなかったですので画期的な取組みといってよいでしょうね。
川﨑: この大型商業施設には年間の来客300万人、ファミリー層をターゲットにしています。是非、競馬場とのコラボを成功させて活性化につなげて行けたらと考えています。
野元: このたびの川崎の新しい取組みには大いに期待しています。初めての取組みと言うことであれば、いろいろと課題もあるかとは思いますが・・・。
川﨑: そうですね。現在、よみうりランドと作業チームを組んで個々の洗い出しを行っているところです。とにかく施設面や環境面で両者の一体感が出せないようであれば、却ってマイナスに働きかねない、相乗効果どころか足の引っ張り合いをしかねないので、ボタンのかけ違いが出ないよう慎重に進めて行きたいと思っています。
野元: 実際、競馬に来るファンとショッピングセンターのお客さんが行き来するような環境や政策を進めて行かないと苦しいですよね。
川﨑: おっしゃるとおりです。いろいろいなアイデアがあってよいと思います。例えば、勝馬投票券を持って行って商品や飲食店の割引をしてもらうとか、店舗の領収書と引き換えに特別観覧席が使用できるなんてことは、是非、実現したいですね。それに、協賛レースもバンバン取り組んでお店のPRができたらいいなって思います。
野元: 同じ敷地に目的が異なる集客施設が建ち並ぶということは本当に強みだと思います。競馬のレース間隔は30分程度ですから、4~5レースやると2時間、でも実際に競馬を見ている時間はそのうちの10分とか20分程度です。予想の時間を入れてもレース間のインターバルは長い。その合間にフラっと別の空間に行って時間を潰せるって言うのはなかなか凄いことですよ。
川﨑: そこは確かに大きな利点ですよね。
野元: 居住性という点からいっても、ショッピングセンターはかなり設備や生活環境に力を入れるでしょうからね。
川﨑: 競馬場としては、このプロジェクトを通して、「確かに川崎競馬は変わったな」「見違えたみたいだ」というような明確なメッセージを発信して行けたらよいですね。
野元: JRAも広大な敷地と財産を持っていますから、施設の有効活用という点でかなり注目をしていると思います。
川﨑: 少し話しは変わるんですけど、川崎競馬は香港のハッピィヴァレー競馬場に似ているなぁっていつも思うんですよ。この競馬場はコンパクトに出来ており、また、周りがビル群に囲まれていながら、休催日などには地元の方たちが自由に散策にやって来るような、開放型の競馬場というイメージがあります。
野元: なるほど。
川﨑: そうした思いを描いていると、この間、知人から、「大井は背広・ネクタイが合うけど、川崎はサンダルとか突っ掛けが合う。良い意味で、この違いは意外に大きい」と。本音を言えば、大井さんのように背広・ネクタイ姿のお客さんにはもっと来て欲しいなぁと思いますけど、サンダル・突っかけでいらっしゃるお客さんにはもっと大事にしないといけないしなぁと。
野元: 競馬場の目の前に出来るタワーマンションの住民の方が、背広ネクタイで馬券を買いに来るなんてことはないでしょうからね。(笑)
川﨑: 勤め帰りとかであれば、それもありです。(笑)

思い描く地方競馬の将来像
川﨑: 野元さんが思い描く、これからの地方競馬のあり方はどのように考えていらっしゃるのですか?
野元: 騎手や調教師の例でいうと、これまでは特定の競馬場に所属していました。でも、内田利夫騎手に見られるように所属を代えて転戦するという新しい騎乗スタイルがみられ、あるいは短期免許を活用して他場のレースに積極的に遠征するような、一言で言えば「騎手の流動化現象」が起きています。地方競馬の主催者は、こうした動きにもっと注目しても良いと思っています。
川﨑: 趣旨は違うかも知れませんが、南関東でも「騎手会所属騎手」の制度がスタートし、特定の調教師にお世話にならない「フリー」となる騎手が増えて来ています。
野元: 小さな競馬場では乗り役が少なく、怪我したら代わりを見つけるのが大変なので、他地区からの受け入れには寛容です。中央でも120人程度まで騎手の数が減っています。ただ、何分にも地方との待遇が違いすぎます。地方でも南関東に来たい騎手は多いとは思いますけど、こちらは4場全体で考えると騎手が多いので、他地区の騎手を受け入れる余裕はありません。要するに、欲しいところには居なくて、沢山いるところは参入障壁が高いというようなミスマッチがあります。経験の浅い騎手は馬に乗れず、腕がさび付いて騎手を辞めてしまうケースもたびたび見受けられます。
川﨑: 残念ですけど、そうした実態はありますものね。
野元: これまで地方競馬は、騎手の腕を磨く登竜門的役割を担っていた時期がありましたが、経営の悪化が重なって来て、そのような余裕がなくなって来ているのが現状です。日本の競馬という大枠の中で何らかの貢献をして欲しいと思います。そういう意識があれば、経営が少し厳しいからと言って廃止を選択するということもなかったのではないかと思います。
川﨑: つまり、日本の競馬が廃止にならない限り、それを支える機能や役割を明確に地方競馬は持ち、そうすることで安易に地方競馬が廃止に追い込まれるようなことはない、ということですね。
野元: そうです。単に地域のために存在するのではなく、日本の競馬を動かしているひとつの競馬場という立ち位置です。そのためには最小限度の体力も必要だと思います。そして、地方競馬としては、やはり人が育って行くうえでの土壌的役割を持ってくれるよう願っているところです。それが馬にもつながって来ると思いますね。
川﨑: そこのところもう少し具体的に教えていただけますか?
野元: 私は、最初、地方同士の連携については否定的でした。JRAの特殊法人化や、地全協の地方共同法人組織になるにあたり、中央・地方の関係も2005年~2007年にかけての法改正で一定の法的な整理がなされたわけです。でも、整理がついた時点では、双方ともお尻に火が付いている状態になっていた。そこで、お互いの利益につながるパートナーとして双方の関係を築いていこうと計画をし直したわけです。でも、まだまだ十分な整理がついたとは思っていません。日本の競馬の中での役割というものを、それぞれの主催者自らが見つめなおして欲しいと思います。
川﨑: 地方の14主催者が一枚岩になることが大切だと思っています。地方は地方だけでやって行くのか、あるいはJRAの受け皿となるのか、並行した議論と取組みを、合わせ技でやりながら進めて行くというのが実情ですけど。
野元: 「JRAの受け皿になりましょう」といっても、なかなか受け皿にはなれないでしょうが・・・。
競馬記者と個人の指向性の違い
川﨑: 競馬記者としての意見と個人の考えで、何か齟齬(そご)があるようなことはあるのでしょうか。 例えば、諸外国と比較してみて、制度的にはもう少し賭け式が多くあっても良いのではという意見に対して、個人としては、これ以上賭け式が増えても興味が湧いて来ないなんてことはないのですか?
野元: それはあまり感じたことがありません。日経新聞は基本的に印を4個、重賞は6個まで付けられます。ただ、目は引かないです。三連単を買うような人はあまり日経新聞を見ないだろうし(笑)、自分でもあまり三連単は買わないです。
川﨑: 日経は堅い新聞で有名ですから、印も堅く・・・(笑)
野元: ・・・必ずしもそうとは言えないですよ(笑)。現在、JRAでも控除率をどのようにしようかと議論しています。現行制度の中でもいろいろ工夫していますが、三連単にシフトしすぎたのかなと言うのが率直な感想ではないでしょうか。その流れを変えようとしてJRAは色々模索している段階で、それは必要なことだと感じています。
川﨑: そもそも三連単導入時から指摘されていた課題ですよね。
野元: 比較的、競馬歴の浅い人を競馬場に招待するときがあるのですが、競馬になじんでいただくために、まず、三連単を勧めるということはないです。 自分が買うのも単勝、複勝、馬連くらいです。自分の中での賭け式は、もう整理されているんです。三連単を買うのはダートグレードレースか、あるいは比較的力関係がハッキリしているような、それこそ堅いレースです。それも年に一度か二度くらいですよ。
川﨑: では、その結果はバッチリですね。
野元: ・・・でも外れます(笑)。
川崎競馬と記者の関係
川﨑: 野元さんは川崎競馬場にはよくお見えになるんですよね。
野元: ダートグレード競走を中心に足を運んでいます。
川﨑: 川崎の有識者会議のメンバーとしてもご活躍を頂いていますが、ホームページにアップした昨年の議事録の中で、先般、JRAや地全協でも野元さんの発言を引いた話題が取り上げられていました。特に、交流競走のあり方なんかで盛り上がりました。
野元: 警戒感があるのかな(笑)
川﨑: 今日も対談内容をアップすれば、きっと競馬関係者の皆さんの関心の的になるのかなと思っています。
野元: 昨年の有識者会議の頃と比較して、まだ1年しか経ていないので、自分の意見はあまり変わっていないです(笑)。
川﨑: 昨年の会議の後、川崎競馬でJBC競走をやり、施設の改善にも大きく手をつけました。
野元: 話は同僚からもよく聞いています。この対談が終わればじっくりと見させていただきたいと思います。
川崎競馬に対するイメージ、印象
川﨑: 川崎競馬の印象はどのようなものを感じていらっしゃいますか。
野元: やはりコーナーがきついとか、直線が中央に比べて短いといった、馬場の印象が先に立ちます。ですから、馬券を買うとき、川崎コースの展開を読み切ろうとしていますが、これがなかなか難しいものがあります。(笑)
川﨑: 南関東の中でも川崎の予想は難しい方ですか?
野元: 南関は、それぞれに特徴があって難しいと思いますが、ここの競馬場は特に難しいという印象ですね。
川﨑: 騎手に意見を聞くと、トップスピード入れた後、直ぐにカーブが来て、そして、最後の大事な位置取り、つまり第3コーナーが勝負どころとなりますが、ここがまた大変な駆け引きがあって、一瞬の判断が遅れたらたちまち弾き飛ばされてしまうという声をよく聞きます。
野元: そうですね。ここで馬券を買い続けたらどのような結果になるのか、ちょっと怖い気もしますが(笑)
川﨑: 印象に残るようなレースはありますか?
野元: 最初に川崎競馬場に来た時が、夏にホクトベガが走った時でした。観戦後、全主協の幹部の方と一杯やったとき、JBC競走がまだ構想の段階でしたけれど、概要を教えていただきました。その時、「これは面白い企画だ」と思いました。ホクトベガは、次の年の川崎記念にも出場したので、その時にも川崎に来たことを、今日のように思い出します。
川﨑: ホクトベガは川崎記念を2戦して2勝あげ、地方では負けなしの競馬をしました。
野元: ですから、「川崎というとホクトベガ」という印象が私の中では強いです。
川﨑: JRAの馬ですが、ダート適性を川崎で証明したという感じですね。その頃の川崎と比較して現在のイメージは如何ですか?
野元: 厳しい中にもそれなりの努力をされているなという認識です。
川﨑: 例えばどのようなところでしょうか?
野元: 佐々木竹見さんの引退会見にも立ち会いましたが、その頃はまだ古い競馬場だなって感じがしました。しかし、今では随分と良くなったなって肌で感じています。
川﨑: コンパクトで競馬が見やすいという声も良く聞くんですが、その点、如何ですか?
野元: 全体を見渡せるのは大変良いかと思います。小さな競馬場でないと味わえないものがここにはありますからね。
ダート路線で開花したホクトベガ
ダート路線で開花したホクトベガ
川崎競馬の課題、将来方向
川﨑: 川崎競馬の課題という点、これは主催者が一番考えて行かなければならないのですが、外から見て如何ですか?
野元: よきにつけ悪しきにつけ、物理的に大井競馬場に近いということから、大井とどう協力し、その一方で、どのように大井競馬場と差別化するのかということに尽きるのではないかと思います。目的は同じでも違うベクトルに沿って取り組む必要性がありますね。
川﨑: その点は痛いほど、身にしみています。
野元: 何と言っても全国2番目の売り上げを誇る競馬場なので、どのように調教施設をつくっていくのか、力の入れどころでしょう。予算的にも限られているかとは思いますが。
川﨑: そうですね。
野元: 例えば、船橋の例で言うと、川島正行調教師を中心にして競い合う環境が調教師間にありますが、川崎でも誰かひとり先駆的な人が出てくると、その人を中心に変わっていくのではないかと思います。そういう人がどのようにして出てくるのか。主催者としては、そのような人が出てくることで大きく雰囲気が変わるという認識を持つことが大切なことではないでしょうか。
川﨑: 人を育てて行く環境を整える、という感じですね。
野元: そうです。韓国に良い例があります。最初、ソウル近郊で競馬場が出来、次に釜山で2か所目の競馬場がつくられました。ところが、ソウルと釜山とでは別々のルールをつくってしまったのです。釜山は外国人調教師を認めて、現在、オーストラリア人の調教師が1人います。こうしたことが刺激になって、韓国の調教師でも1人、とんでもなく勝ちまくっている人がいます。
川﨑: 実際、どのくらい勝つのですか。
野元: 釜山の競馬は1年間で800レースしか競走をやっていないですが、年間コンスタントに90勝していて、今年は3ケタの大台を目指しています。彼はマネジメントに力を入れていて、普段はソウルに住んでおり、釜山開催に合わせて遠征してくる、と言う感じです。
川﨑: なるほど
野元: 競馬をビジネスと捉えて、自らは質の高い馬を集めることと顧客管理に集中しているのです。釜山とソウルとの間で交流競走がいくつかあるのですが、ここも席巻している。当然、やっかみもあるでしょう。でもその人はめげずに自分の信念を貫き通します。やがて、一人二人とその人を師と仰ぎ、あるいはその人を乗り越えるために切磋琢磨する状況に変わり、先々、釜山の調教管理術は伸びてくるでしょう。ですから、一人でも二人でも問題意識を持った方が出てくると、間違いなく変わってくると思います。
川﨑: そうですね。
野元: 南関東でも、中央の馬を本気で負かそうとする気概のある調教師が出て来れば、それが競馬全体を活性化させていくのではないかと思います。
川﨑: そうなるように意識改革が必要であると同時に、そうした意識を守り育てて行く環境をも大事にしないといけないですね。
野元: 以前、ある主催者関係の方と話した時、ダートグレード競走で活躍したフリオーソのことを、「うちの馬」と表現されていたのですが、その方は船橋の関係者じゃないのです(笑)。気持ちはわかりますが、競い合う間柄だから、その辺はけじめをつけて欲しい気がします。
川﨑: でも何となく分かる話ではあります。
野元: だから、川崎競馬でもJRAの馬を負かすんだ!南関の重賞を全部取ってやる!くらいの人が出てくると、他の人もその人を目標にするのではないかと思います。そういうようにして、前向きな競走が始まるのではないかと思います。そういう問題意識を持つことが、まず、最初かなと思います。
川﨑: 騎手も調教師も頭一つ抜きんでた途端に、叩かれるという現象が残念ながらあります。活躍すると村八分にされたり、お互い足の引っ張り合い、なんてことにもなりかねない。
野元: それはどこの世界でもありますよ。特に競馬の場合、目の前のものをシェアするというゲームで、自分が増えれば相手が減るという世界なので、どうしてもそういう「やっかみ」がでてくるのは仕方がないことです。
川﨑: 強い馬づくりを目指して、奨励馬事業や共済事業にも力を入れているんですが、目利きができないという悩みもあります。 そこで、大井や盛岡がやっているように、馬主協会がセリで購入してきた馬を別の形で支援するというやり方もあろうかと思います。
野元: やはり、セリと言う形で判断することになるんでしょうね。
川﨑: セリ自体に不慣れな面もありますし・・・。
野元: 徐々に進めて行って、セリとはこういうものだと言うところから入っていかざるを得ないでしょうね。本当に出来るのかどうか、地道に足を運んで人脈を作りつつということになると思います。取りあえず、半歩、踏み出してみるという感じでしょうね。
職員の意識改革
川﨑: 職員の意識の問題もあります。例えば、斬新な企画を提案しても、「これは大井でもやっていないから」と難色を示します。でも、斬新なんだから、川崎がやってみる価値があるし、第一、大井がやっていないからこそやる価値があるのではと問題提起をします。
野元: そういう場合は、期限を切って「上手く行かなければ止める」とすれば、職員のほうでも納得するのでは。ヒット&アウエイのつもりでためらわずに一歩踏み出すことが必要です。
川﨑: 川崎競馬の場合、正規職員が30人に満たない人数でやりくりしていますが、量よりも質だと思っています。ただ、原則2~3年で違う世界に異動したりしますと、せっかく築き上げた個人の関係が断ち切れてしまいます。競馬をやっていて本当に対人関係、信頼関係が第一だなぁと痛感しています。
野元: 長い人は蓄積が豊富ですし、挫折を乗り越えてこられた方たちがほとんどなので、組織の運営もそのような人たちを軸に回して行くんでしょうね。
川﨑: そうですね。私の持論で、ハルウララの話しをよくするんですが、あの馬は120戦近く連敗して、負け続けることで一躍国民的話題をさらったのですが、実は、ブームが起きたのは最後の10戦位なんです。その僅か10戦位で、高知競馬を生き返らせ、その後、長くに渡り高知を支えてきたのです。企画は当たり外れはあるけど、外れてもそこで止めるのではなく、少し続けてみて判断しても良いのではないか、浸透すれば階段状にプランが認知されてくるのではないのかなと。成果を直ぐに求めてみてもなかなか出ないのもあるのではないかという気がします。この成果が出るタイミングを見極めることも大切なことと思います。それには安定した執行体制や継続性のある人間が関わる必要があります。
野元: そうですね。
川﨑: 我々には人事異動もありますので、やはり直ぐに成果が出ないと前に進めないという宿命もあります。できれば、じっくり構えて3年後、5年後に答えが出れば良いというような考えも思い浮かべたりもします。
野元: JRAの職員はプロパーがほとんどですが、一箇所にいる年数は短い。もちろん異動すれば仕事がガラリと変わることはありますが、競馬に関わることには変わりありませんからね。小さなことでも半歩でも前に進んでみると言うところでしょうか。いきなり目の前がパッと開けるなんてことはないんでしょうね。
競馬との出会い、きっかけ
川﨑: いろいろと伺って来ましたが、次は野元さん自身について少しお話を聞かせて下さい。まず、競馬との出会いはどのようなものだったのか、あるいは経済が専門の新聞社で競馬専門の記者ということですが、そのあたりの経緯や心境を教えていただければと思います。
野元: 私は府中で生まれ育ち、小学生の頃は、活躍していたハイセイコーをTVで見て覚えていたのを記憶しています。また、1976年(昭和51年)に市内にあった厩舎が美浦に移転するまで、つまり中学1年の頃までは、自転車で家の近くの高台から厩舎内で馬が引かれているのをよく見かけました。そんなところから競馬に接するきっかけができました。
川﨑: 最初から、私たちとは出発点が違っていますね。
野元: 普通の人にはない経験だと思います。一方、自分の性格はというと、何かを予想して当てるということがとても好きでした。当てた結果よりも推理を楽しむというサイクルが楽しかったですね。ですから、競馬だけでなく、予想するという意味では他のスポーツにも興味は尽きませんでした。
川﨑: でも何故、競馬に取り付かれてしまったのでしょう?
野元: 大学3~4年のころ、競馬場に訪れる機会があり、競馬というものに力を入れて楽しむようになりました。それから大学を卒業し、1987年(昭和62年)に毎日新聞に入社して、最初は長野県で取材活動をしていました。4年ほどしてから、支局から本社の運動部へ異動の辞令が出て、アマチュア一般を担当するようになったのです。取材先でいえば体協、JOC、種目で言えば、陸上とかを担当していました。
川﨑: いろいろ任されていたんですね。
野元: 実はその頃、編集委員の人が、「誰か競馬を担当したければやってもいいよ」と声をかけてくれて、私は興味もありましたから、ためらわずに手を上げたら、競馬記者を兼ねてやらせてもらうことになったのです。現場に出て取材したのが1991年(平成3年)のジャパンカップのときです。もう次の年からずっと、現場で取材するようになりました。
川﨑: 日本ダービーなども22年間、現場で観ているということですね。
野元: はい。その後、途中、プロ野球3年、Jリーグ1年やっていた頃に、日経新聞で30年以上、競馬を担当されていた前任者が「うちに来ないか」と声をかけて下さったのです。転職してよいものかどうか随分と悩みました。悩みましたが、「これも一つの縁かな」ということで日経新聞に行くことを決断しました。
川﨑: 職場は同じでも、勤め先が変わるということで、前の方たちと顔を合わせることになりますが、それはかなり思い切った決断でしたね。
野元: そうですね。それというのも大体、スポーツ記者になりたいからなれるものではなく、自分はとても運が良かった方だと思います。最初の赴任地が長野市と言いましたが、当時は1998年(平成10年)の冬季オリンピック誘致活動を盛んに行っていた時期で、私が東京へ異動した2ヵ月後に、イギリスのバーミンガムでIOC総会があり、そこで長野市の開催が決まりました。実は、会社側が長野市に決まる可能性を見越して、ある程度、長野の事情を知っている人間を本社に呼んだのだと思います。
川﨑: 興味深い話ですね。
野元: ところが、毎日新聞社を退社したのが1996年(平成8年)、長野オリンピックの2年前の年です。
川﨑: そうだったんですか、でもそのことがなかったら、また、今とは随分違う人生を歩んでいたのでしょうね。
野元: 多分ここにはいませんね(笑)。非常に忸怩(じくじ)たるものがあります。
川﨑: 人間は生きている限り、常に選択を迫られますしね。
野元: その後、日経に入ったのは良いのですが、どこの職場でも長く務めていた方の後を継ぐというとき、前任者の方のやり方というものがあるわけです。この時は世紀が変わる頃に仕事の内容もかなり大きく変わったのです。
川﨑: それはどういうことですか?
野元: 今は夕刊で競馬を扱っていますが、当時はなかったのです。もうひとつの変化は、2000年(平成12年)からネットで競馬記事を出し始めたことです。それまでやっていた仕事とはかなり異質なことが始まって、誰もやったことがないので、ほとんど手探りの状態でした。
川﨑: ある意味、偶然が重なったということですかね。
野元: 今から考えればそうですね。でも、この仕事を始めて間もなく17年ですが、翩々(へんぺん)と変化するなかで必死についてきたという印象を持っています。

読者からの声、エピソード
川﨑: 活躍が多方面に亘っていらっしゃいますが、読者やファンの方からは、どのような声が野元さんの手元に届いているんでしょう?
野元: 率直に言って、人の神経を逆なでするようなこともかなり書いているので、きつい反応もあります(笑)。自分は心の強い人間ではないので(笑)、いつもビクビクしていますよ(大笑)
川﨑: 文の内容は結構、控えているんですか?あんまり強い内容で書くと、読者を刺激してしまうからとか・・・。
野元: まぁ、そういうこともありますね。週刊競馬ブックさんに年5~6回、寄稿していますが、あの雑誌は、ほとんどの厩舎関係者の方に読まれていて、コラムには顔写真も出るので、トレセンで知らない人からよく挨拶されるんです(笑)。
川﨑: 野元さんは有名人ですものね。
野元: 最初の頃、トレセンはとても敷居が高い世界でしんどかったんです。そういう意味で、競馬ブックさんに場所を提供していただいているというのは大変有難いことです。その一方で、トレセンの皆さんの視線をいつも浴びながら書き続けているので、かなりのプレッシャーでもあります。
川﨑: 私も経験がありますが、厩舎関係者は簡単には心を開いたりはしてくれませんね。
野元: 「あなたもずっとこの世界にいる人だね」と思われた時、初めて心を開いてくれるような気がします。そうなった後で、厩舎の方から「実は自分たちは今、こんなことを考えている」と少しずつ本音を話してくれるんです。
川﨑: そうなんですよね。競馬サークルという言葉がありますが、その様なときにこの言葉の持つ意味を実感します。
野元: 本当ですよね。他の記者さんたちは、恐らく夜遅くまでお酒を飲んだり、ゴルフをやったりして、自分から彼らの方に近づいていこうと皆さん努力されていると思います。そういう方々を横目に見ながら、その過程をすっ飛ばして、雑誌に投稿することで厩舎の方たちに顔を覚えられていくのは、何か自分でもずるいことをやっているのではと思ったりもします。
川﨑: 厩舎の方が、随分と幅広く、しかも丁寧に競馬関連記事に目を通しているので正直びっくりしています。それと、やはり本音ベースで書いた方がよく伝わるっていう感じですよね。
野元: それは感じています。
川﨑: ズバッ!という感じで・・・。
野元: ネットでは、また違ったスタイルが求められたりしました。昨年末で、ネットのコラムは終わりました。かなり高いレベルの方も含めて、色々な方から意見や提案をいただくなど、相当な反響を頂きましたが、そうしたなかでも匙加減を上手く調節しなければいけないな、ということをつくづく感じました。ネットは見たい人しか見ていないのでシビアですよね。水位を調整するのは自分しかいないので、悩みの連続といったところでしょうか。
川﨑: この間、須田鷹雄さんとの馬券裁判の議論、記事を読んでいて本当にゾクゾクと肌を伝わってくるものを感じました。
野元: 須田さんはとにかく現場に足を運んでこられた方で、私も尊敬しています。
レース観戦のポイント
川﨑: 次にレース観戦のポイントを伺います。われわれは公正競馬確保の視点が中心になりますので、審判業務に軸を置いた観戦をしていますが、野元さんはどのようなところを観ていらっしゃるのですか?
野元: 難しい質問ですねぇ。んー、やはりどのレースが質の高いレースなのかという視点ですかね。1日12レースに印をつけますが、実際、馬券を購入するのはそのうち2~3レースくらいです。正直なところ、自分で見切れないところも多いのですが、そのなかでもどれが質的に見るべきものがあったのかと。例えば見た目のタイムが、そのまま質に直結しているケースとそうでない場合があります。質の高いレースを観て分かるようになればいいなと思っています。あとは攻防かな・・・。
川﨑: 攻防?
野元: 例えば、東京芝の決着は最後の直線500mで決まるケースが多いですが、レースの前半の展開はこうあって欲しいという何かがあって、その何かと今、目にしている展開がどのように違うか、といったことや、あるいは駆け引きや争いといったものですかね。
川﨑: それらも含めて質の高いレース、ということなんでしょうが、もう少し掘り下げて言うと、どのようなレースなのですか?
野元: 力の強い馬が出てきて、レースにおいて大体、力は出せたかなということです。言い換えると、どの馬も特に恵まれることも不利を受けることもなく、完走して力を出し切る、ということです。出走したすべての馬が力を出して恨みっこなし、という状況であったなら、それは質の高いレースと考えて差し支えないと思います。競馬を見ている人間の一番の興味は、やはり何が一番強いのかに尽きるのではないでしょうか。それがはっきり出てくる、言い換えると「能力の芯が見えるレース」を見たい、ということです。
川﨑: 強い馬が強い勝ち方をしたレース、という理解ですね。
野元: 逆に、「1着を取ったからといって、本当にこの馬は強いのか」っていうこともありますし、「一見、強いと思ったけれど、やっぱりこの馬は違ったな」と言ったことの繰り返しです。そういうレースと馬を見てきて、何年かに一回でいいから絶対的に強い馬を見てみたい、というのが望みです。
印象に残っているレース、競走馬、騎手など
川﨑: レースを観戦されていて、これまでに印象や記憶に残っている、レース、馬、騎手などはいますか?
野元: 初めて凱旋門賞を見たのが1999年(平成11年)10月のエルコンドルパサーが出たときです。
川﨑: 実際にフランスでご覧になって・・・。
野元: そうです。その時は2着でしたけど、勝ったサンクルー大賞(同年7月)も見ていまして、きっちり勝つあたりが、さすがこの馬の強さは違うなと思いましたね。あれがキングジョージだったらもっとワッと大騒ぎになったのでしょうけれど(笑)
川﨑: フランスの競馬はいかがですか?
野元: ヨーロッパの中では日本の競馬に近い印象で、だからという訳ではないでしょうが、日本の馬が活躍しやすい国ですよね。最初は2400m戦では日本馬が歯が立たなかったのですが、前年(98年)にタイキシャトルやシーキングザパールが短い距離のG1を勝ち、「日本の馬も戦えるところでは戦える」という認識が生まれました。そして、その年の秋のジャパンCでエルコンドルパサーが勝ち、翌年の凱旋門賞に挑戦ということになっていくのです。フランスで4回走り、2戦目が7月のサンクルー大賞で優勝。凱旋門賞では逃げて、後に大種牡馬になったダービー馬のモンジューに半馬身差で差されてしまった。着差でいえば、オルフェーブルやナカヤマフェスタの方が際どかったのですが、フロンティアホースとして思い出に残る1頭です。種牡馬としての供用期間が短かったのが残念ですが・・・。この先、日本馬が凱旋門賞を勝つようなことがあったとしても、歴史的な扉を開いた1頭として名前が残るでしょう。
エルコンドルパサーの勇姿
エルコンドルパサーの勇姿
座右の銘、好きな言葉
川﨑: 野元さんの座右の銘を教えて下さい。対談に出てきていただいた方、全員にお聞きしているんですよ。
野元: 座右の銘?ないなあ(笑)
川﨑: 好きな言葉でも。
野元: それなら単独者。
川﨑: タンドクシャ?
野元: この仕事は見た目、1人でやっている色合いが濃いんです。実際は多くの人に支えられているのが常ですが、それでも最終的には自分が責任を取っていかなければなりません。何も仕事に限らないですけれどね。個人として生きていく覚悟のようなものです。良いことも悪いことも最後は全部、自分に還って来るということです。
川﨑: 単独者、初めて耳にしましたが、なかなか含蓄のある言葉ですね。
今後の目標
川﨑: それでは、野元さんの目標を教えて下さい。
野元: いゃー、もう目標を語る年齢ではなくなりました(笑)。来年50歳ですからね(笑)。
川﨑: 7年前に本を出されましたが、そういうご予定はないのですか。
野元: これ以上、本は出ないと思いますよ。
川﨑: 普段は、目標というものをあまり考えていないのですか?
野元: ないですね(笑)こちらが動かなくても周りはあれこれ変わってきますし、自分が置かれたポジションで一生懸命やって行く、ただそれだけですよ。
川﨑: 記者やライターは、何か目標を持って取り組む習性がないとも聞きましたが・・。
野元: そうですね。
川﨑: 彼らの中には思ったことを、もう少し忠実に文章に落とし込みたいとか、あるいは情報発信したい、といった声も聞きます。
野元: よくJRAの方が、私に限らずメディアの人たちの意見を求める際に、「ファン代表として意見を」と前置きがつくのですが、「ちょっと待って下さい、私は自分がファンの代表と思ったことは一度もないです。自分のような人間に代表性はないです」と言います。こういう立場で様々な場所に立ち、人に会わせていただいているので、そういう立場からコメントするということに尽きます。あと何年、この世界に関わっていられるのか分かりませんが・・。年齢的にも(笑)「最後、みっともなくないように」、そこに尽きます。(笑)
川﨑: 共感します(笑)。
野元: 世間の人の場合であれば、定年まであと10年ちょっと、恥ずかしくない仕事をしなくては、という思いだけです。
ファンへのメッセージ
川﨑: 対談の最後に、川崎競馬、あるいは川崎競馬ファンに対して一言お願いします。
野元: 川崎は地方競馬No2ですから、引っ張る側だという気概で、これからいろいろなことに取り組んでいただくよう期待を申し上げます。まだ、新しいことに取り組んで行ける体力も残っていると思いますので、その点を深く認識されるよう、お願いしたいです。
川﨑: 現場の責任者として、自分だけの立場だけじゃなく、全体のことを考えてということ、大変身に沁みるメッセージ、有り難うございました。
野元: この世界が抱えている状況について、問題提起も行い、今後良くして行くための方向性を模索して行かれるお立場だと思いますので、是非、頑張ってください。
野元賢一さんと川崎競馬副管理者

(了)

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